新たな人生を歩む男 tafboyaのブログ

リタイア後の生活について書いてます

tafboyaの職歴②

前回からの続きです。

前回の記事はこちら⬇️

 

tafboya.hatenablog.jp

 

①高校〜大学まで

②大学卒業〜社会人 ⬅️  今ここ

③退職後〜契約社員

④退職後〜現在

 

大学卒業後、正社員としてスーパーで働くことに。

なぜスーパーかというと親のコネです。

父親がスーパーで働いていたので、その会社の面接を受けることになりました。

 

大学の頃は全く就活しておらず、ただただバイトとパチスロ三昧でした。

これだけみるとクソ野郎ですが(笑)

 

大学は3年で全て単位取り終わっており、卒論もなかったので、あとは卒業するだけ。

学費は2年間は親に払って貰ったが、あとは自分で払いました。

というより奨学金を借りることに。

 

成績はそれほど悪くなかったので、利子付きだが借りることが出来きました。

自分的には、やることはだいたいやったから、あとは自由にしようという

思いがありました。

 

就活しなかった理由は、まあ単純にやる気が全くなかったのと

当時はパチスロでだいぶ稼げていたので、お金の心配があまりなかった。

ぶっちゃけバイトとパチスロだけで、生活出来るだけのお金はありました。

なので就活して、真面目に働いて苦労して稼ぐより

この状態のほうがいいんじゃね?とすら思っていました。

 

まあ実家暮らしなので、そういう生活をしているとさすがに親から

今どういう状況なんだと聞かれるわけです。

さすがに今の自分の状況を説明するわけにはいかず

まだ就活決まってないという話をしました。

なので、親のコネでスーパーで働く流れになったわけです。

 

正直全くやる気はなく、仕方なく働くかという気持ちでした。

 

スーパーは部門ごとに分かれており、自分の担当は青果部門(野菜・果物)でした。

これは希望制で、自分で選べます。

 

正直どれ選んでいいか分からず、父親に聞いて、青果がいいよということで

青果部門にしました。

 

この青果部門での仕事は主に

品出し、商品加工、POP作り、売価チェック、発注、在庫管理など

最初の頃はひたすら品出ししていました。

 

この青果部門だが、こういう構成になっています。

主任、代行、三番手、パートさん。

自分の立場は三番手で丁度中間です。

 

青果部門は朝が早い。いつもだいたい朝の6時にはお店に着いていました。

さいわい家からお店は、自転車で15分くらいだったので、その点ではまだ楽でした。

 

とにかく朝の準備が大変。

お店がオープンするまでに売り場に商品を陳列しなくてはいけない。

時間との戦い。朝が1番消耗します💦

 

この仕事で何が辛かったといえば、やはり上司との関係性ですね。

上司は正直厳しかった。

というより自分が仕事が全く出来なかったので怒られまくった。

仕事出来ない→怒られる→気分落ち込む→さらにミスする→また怒られる‥

この無限ループにハマっていました。

もうその頃はしんどくてしょうがなかった。

別にやりたいわけでもなく、やる気もないそんな状態で

仕事が出来るわけないと思う。

 

ただこの上司はすごく分別がきいている。

仕事中はものすごく厳しいのだが、休憩中はすごく穏やかです。

本人が話してくれたのだが、仕事中は厳しくやるとのこと。

それ以外は普通に接してくれる。

この上司の姿勢は自分にとってとても助かったものと言えるかな。

もし聞いていなければ、自分はすぐに辞めていたでしょう。

 

まあ分かっていても辛いことは辛いのです。

あまりに辛かったので、店長に相談したその時に、めっちゃ泣いてしまった。

人前で泣いたのは小学校以来じゃないだろうか?

それほど自分のなかに辛さが蓄積していたのだろう。

 

するとしばらくして別の店舗に移動することになった。

この店舗では半年くらい。

次の店舗は、家から1時間ちょっとかかる、場所は遠くなりました。

この店舗だがなんと、全店舗のなかで、売り上げ上位3位くらい。

すごいとこに移動したなと思いました。

 

この店舗は従業員がものすごく多く、自分が前いた店舗の倍以上の人がいた。

ここでもひたすら品出し、前の店舗とは比べ物にならないくらい

ずっとひたすら品出ししていました。

駅前だったのでものすごくお客様が多い。

特に火曜日がすごいです。

 

ここでの上司との関係はそこまで悪くなかった。

ゲームとか借りたことあるくらい(借りパクしました(笑))

自分と同じ同期も沢山いたので、割と人間関係には恵まれていた方です。

まあそれでも、そういう関係がいつまで続くわけではなく

ある時期から上司との関係が悪くなり、居心地が悪くなっていました。

 

その原因は、自分がある程度仕事をこなせるようになったのという錯覚です。

割と周りと比べて、ある程度は仕事出来てるなという自覚はありました。

自分と同じ同期よりも明らかに自分の方が出来るそんな驕りがありました。

そのせいなのか、上司から色々と仕事を振られることが多くなる。

同期と比べて明らかに仕事を振られまくっている。

そうなると仕事を振りまくってくる上司が嫌になってくる。

その結果自分が上司に対して嫌な対応してしまい、上司との関係が悪くなる。

自業自得ですね💦

 

まあそれでもなんとか続けることは出来きました。

なんだろう意地なのかな?

仕事は最低でも3年は続けなきゃダメという、信念が無意識にありました。

 

まあ辛かったけど最初の店舗で働いていた時よりはだいぶマシでしたね。

耐性がついたのかな?

でしばらくするとまた移動の話になる。

この店舗では1年くらいだっただろうか?

 

次の店舗は小型店。

構成は主任、代行、パートさんです。

その中で自分は代行という立場。

この代行という業務は、商品の発注、在庫管理、売場レイアウト作り、売価管理など

これらを全て行わないといけない。

品出しとかはパートさんに任せることが多いですが。

 

なので超大変でした💦

一人で何もかもやらないといけない。

最初のほうは主任が色々と教えてくれたりしたが

そのうち一人でやることになる。

当然出来るわけもなく、ただただガムシャラにやっていくだけでした。

 

そのうち限界が来て、主任に無理ですということを伝えました。

が自分も同じようにやってきたんだと言われ、仕方なくしぶしぶ納得。

それでも限界が来てしまい、店長に辞めますと伝えました。

その結果辞めるということではなく、別の店舗に移動するということになりました。

 

これが最後の移動となるわけですが、この店舗は中型店。

主任、代行、三番手、パートさん

この店舗では自分は三番手というポジションでした。

なので主な作業は、品出しが多い。

まああんまりやる気なかったので、ダラダラやってたらそのうち代行に怒られましたが。

 

まあさすがに自分自身でも自覚があったので、怒られて当然だなぁとは思っていました。

基本怒られるのは嫌だったので、怒られない程度には真面目にやるようにしました。

ここでの関係は、割とみんな仲良しって感じでしたね。

上司と飲みに行ったこともあるし(強制だが)

上司、パートさんとカラオケ行ったこともあります。

 

このみんな仲良く上手くやろうっていうのは、どうも自分の中で合わないですね。

自分自身を押し殺して、無理矢理付き合っていた感じです。

そうなると自分自身が苦しくなります。

自分の中で居心地が悪くなって、逃げ出したくなる。

仕事に対しても、つまらなさを常に感じていた。

 

そうした思いを常に抱え続けると、限界が来てしまいました。

辞めよう、そう決意する。

ただ辞めるといっても言われるのが、次はどうするんだとか

辞めると絶対後悔するぞと言われることでした。

前も辞めると言った時に、同じように言われたことがあります。

なので普通に言ってもダメだろうと思いました。

 

なので自分がとった行動は、手紙で思いを伝えるということでした。

どうも口頭では上手く伝えられる自信がなかった。

なので手紙という形をとりました。

今だったらメッセージなどで伝えればいいだろうけど。

その当時は、メッセージで辞めるということを伝えるのはマナー的に

どうなんだろうという思いが自分の中にありました。

 

パチスロが好きだったということもあり

パチスロ関係の仕事に就こうと考えていました。

丁度その頃にパチスロの学校があるということを知り

その学校に行こうと思っていました。

 

その思いを手紙に書いて店長に見て貰いました。

まあ正直ちょっと恥ずかしかったけど、口頭で言うよりかは

手紙の方が思いが伝わるだろうと考えてました。

 

まあ思いが伝わったかどうかは不明だが、辞めることになりました。

結局スーパーの仕事は約3年ぐらいかな?続けました。

まあ父親には申し訳ない気持ちもあったけど、自分自身で決めた道に

進みたいそんな思いがありました。

 

そうして辞めて学校に通い始めたわけだが…